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妙高(みょうこう/めうかう)は、日本海軍の重巡洋艦〔#達大正12年12月p.5『達第二百三十五號 艦艇製造費ヲ以テ大正十二年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ一等巡洋艦二隻ニ左ノ通命名セラル|大正十二年十二月十日 海軍大臣財部彪|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 一萬頓級巡洋艦 妙高メウカウ|呉海軍工廠ニ於テ建造 一萬頓級巡洋艦 那智ナチ』〕。一等巡洋艦妙高型の1番艦である〔#艦艇類別等級(昭和12年12月1日現在)p.1『艦艇類別等級表|軍艦|巡洋艦|一等|妙高型|妙高、那智、足柄、羽黒』〕。艦名は新潟県の妙高山に因んで命名された〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.123『妙高(めうかう)|艦種 一等巡洋艦|艦名考 山名に採る、妙高山の別名妙香山又は越後富士、越後國にあり。|艦歴 所謂甲級1萬頓級8吋砲巡洋艦の魁にして、那智・足柄・羽黒は其の姉妹艦なり。昭和6・7年事変(日支)従軍:同7年2月上海及揚子江方面警備(艦長大佐井澤春馬)』〕。なお、名称は海上自衛隊のこんごう型護衛艦の3番艦「みょうこう」に受け継がれている。 2番艦那智の方が妙高より先に竣工したため『那智級』と呼ばれることもあった〔#日本軍艦集2600年版p.25『一等巡洋艦 足柄(あしがら) (略)起工大正14年4月11日、進水昭和3年4月22日、竣工昭和4年8月20日、建造所神戸川崎造船所-妙高と同型。世界に誇る那智級一萬頓級重巡四隻の最後に出來上つた艦である。』〕。 平賀譲造船中将の設計した艦級であり、主砲門数が多い。その代価に防御を軽視していたという評価もあるが、同時期の米重巡より重装甲であった。 ==艦歴== 1923年(大正12年)12月10日、横須賀で建造予定の一万トン級巡洋艦に妙高、呉工廠建造予定の同型艦に那智の艦名が正式に与えられる〔。妙高、那智の2隻は同日附で艦艇類別等級表に登録された〔#達大正12年12月p.5『達第二百三十六號 艦艇類別等級表中巡洋艦一等ノ欄青葉ノ下ニ妙高、那智ヲ加フ|大正十二年十二月十日 海軍大臣財部彪』〕。 妙高は1924年(大正13年)10月25日に横須賀海軍工廠で起工〔#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日現在)p.3『妙高|一等巡洋艦|(艦諸元略)|横須賀工廠|大正13-10-25|昭和2-4-16|4-7-31|(装備略)』〕。1927年(昭和2年)4月16日に進水〔。即位したばかりの昭和天皇が行幸した進水式だった〔#終戦と帝国艦艇75頁〕。妙高進水後の4月28日、同船台で高雄型重巡洋艦高雄の建造が始まった〔。妙高は1929年(昭和4年)7月31日に竣工〔。起工は妙高の方がはやかったが、竣工は那智の方が約8ヶ月も早かった〔#ポケット海軍年鑑(1937)p.31『一等巡洋艦"那智なち"(略)要目は妙高と全部同一である。上記の如く起工は妙高より1ヶ月遅れてゐたが竣工したのは反對に8ヶ月も早かつた。故にこの艦は近代型の1萬頓巡洋艦としては實に世界中で最初に勇姿を現したものである。(以下略)』〕〔#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日現在)p.3『那智|一等巡洋艦|(艦諸元略)|呉工廠|大正13-11-26|昭和2-6-15|3-11-26|(装備略)』〕。 1930年(昭和5年)10月26日神戸沖で実施された特別大演習観艦式で、昭和天皇は戦艦霧島を御召艦とし、妙高型4隻(足柄《先導艦》、妙高、那智、羽黒)は供奉艦を務めた〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.242『昭和五年特別第演習式場圖』〕。1937年(昭和12年)の夏には日中戦争の上海上陸作戦に従事。妙高型4隻で第五戦隊を編成した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「妙高 (重巡洋艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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